「一人が好き」でも「寂しい」と思う瞬間・その対処法

ぼっちの思考

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僕は一人が好きだ。

なぜなら、人と関わると気を遣いすぎ、多大なストレスを抱えるから(詳しくは下記記事で)。

休日は一人で過ごすし、自分から誰かを誘うことはない。友だちも多くはない。

しかし、そんな「一人が好き」な人間でも、時々「寂しいなあ」と思う瞬間がある。この記事ではそんな瞬間と対処法について考えてみる。

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一人が寂しいと思うとき

始めに「一人が寂しい」と感じる瞬間について。

共有したい場面に出会ったとき

まずは、「誰かと共有したい」と思う場面に出会ったとき。

旅先で美しい景色に出会った、ライブで素晴らしいパフォーマンスを見た。普段は「良いところだったなあ」「良いライブだったなあ」と自己完結で終わるが、とんでもない感動を覚えたときなど、ふと「共有したいなあ」と思ってしまう。

基本一人でいたいけれど、自己完結でいいけれど、やはり共有したくなることがある。わがままだが、そう思ってしまうことがあるのだ。

楽しそうにしているグループを見たとき

続いて、誰か楽しそうにしている人たちを見たとき。

カップル、友だち同士のグループ、家族…

複数人で楽しそうに話しているのが、キラキラ輝いて見えることがある。特に、そういったグループが多い観光地に行ったとき。例えば夜景スポットなど。

このようなとき、「みんな楽しそうだなあ」「自分は一人…寂しいなあ」と思ってしまう。

対処法

続いては僕が考え、実際にやっている対処法について書いてみる。

SNSなどで共有

まずは、SNSで共有すること。

媒体は何でもいい。X、Instagram、ブログ…

こういったSNSの良いところは、「共有したい」と思ったことだけ共有することができ、興味がないことには全く関わる必要がないこと。

見たくないものを見てもそっと閉じればいい。「基本一人が好きだけど、たまに繋がりがほしくなる」という場合に最適の手段だ。

が、必要以上に関わると面倒になるので注意は必要(また別に書きます)。

寂しさを受け入れ楽しむ

対処法2つ目、それは「寂しいなあ」と思うことを楽しむ、ということ。

「こいつは何を言っているんだ」と思われるだろう。いくつか例をあげてみる。

  • 「寂しいけれど、自分は一人で強く生きているんだ」と自分を鼓舞してみる。
  • 「みんな楽しそうにしていていいなあ。自分は一人で寂しいなあ」と落ち込めるだけ落ち込んでみる。
  • 「自分は一人だけど楽しいんだから。自分は一人が好きなんだから」と強がってみる。

対処法といえるかはわからない。しかし、一人で生きていくには寂しさを受け入れ、落ち込み、自分を見つめ直す時間も必要だと思う。

そして、「このプロセスがより一層自分を育ててくれるのだ」と考え楽しむことも大切ではないだろうか。

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まとめ 「一人が寂しい」のは当然

以上、一人が好きな人間でも「寂しい」と感じる場面、そんな場面に出会ったときの対処法について書いてきた。

読んでみて、どのような感想を持たれただろうか。

「こいつ、本当に一人が好きなのか…?」「本当は人といたいのに、強がっているだけじゃないのか?」。書いていて、自分でもそう思った。

しかし、人には社会的欲求(集団に属したい、仲間が欲しいなど)や承認欲求がある以上、いくら一人が好きといっても、寂しいと感じることがあるのは当然なのだ。

一切「寂しい」と感じることがなければ、それは人間が生きる上で必要な機能を失っていることにままならない。

そこで、「寂しい」と感じることを許容したうえで、寂しさを和らげる手段を探したり、寂しさと向き合って力に変えたりしていくことが、一人で生きていくには重要なのではないだろうか。

これは僕がブログを書く理由でもある。ブログは寂しさを和らげる手段であり、自分と向き合い考えをまとめ、自分を育てていくプロセスそのものなのである。

読んでくださってありがとうございました。僕が一人が好きな理由についてはこちら。

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